アルゼンチン スラム

ビジャ31の移転先、フエルテアパッチェ ~スラム街が生んだアルゼンチンのスラム街、アルゼンチン元代表カルロス、テベスの故郷~

今日は、アルゼンチンでも有名なスラム街を紹介するよ。

 

 

 

 

こんにちは青蛙(https://twitter.com/aogaeruaogaeru)です。

 

 

 

 

アルゼンチンでも大規模なスラム街はいくつかあります。

レティーロ駅近くのビジャ31、ボリビア人の巨大なコミュニティのビジャ1-11-14そして今回紹介するフエルテアパッチェです。

 

 

 

 

フエルテアパッチェと聞いて、

「聞いたことあるかも。」

と思った人もいるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

ボカジュニアーズのアイドル、カルロステベスの故郷のスラム街です。ブエノスアイレス市の西に位置しております。

アルゼンチンでもビジャ31とビジャ1-11-14と並ぶ大規模なスラム街です。

 

 

 

 

地図で見ると、中心地のレティーロ駅、ボカ地区からもかなり離れています。

 

 

 

 

今回、紹介するスラム街は、以前紹介した二つのスラム街とは大きく異なる特徴があります。

 

 

 

 

 

ビジャ31、ビジャ1-11-14の記事は、こちらを参考にしてね。ボカ地区や、治安情報の記事もあるよ。

 

早速紹介します。

紹介はしますが絶対に行かないでください。

命の保証はありません。

フエルテアパッチェのアクセス

アクセス

ブエノスアイレス中心部レティーロ駅からは、有料道路を使えば35分です。

繰り返しですが、紹介はしますが、絶対に行かないでください。

フエルテアパッチェの住人

人口 約35,000人
住民 多くがアルゼンチン人 
支配層 アルゼンチン人

 

 

 

ブエノスアイレスの西部にあるスラムです。

エヘルシト デ ロスアンデス地区にあり、ブエノスアイレスの人たちの間で通称フエルテアパッチェと言われています。

 

 

 

 

直訳すると「強いならず者。」

聞くからに危険な街です。

 

 

 

 

26ヘクタールの敷地をほこり、人口は統計では4657世帯、35,000人です。

ですが実際は、はるかに多く50,000人以上いるとも言われています。

 

 

 

 

治安は、最悪。

 

 

 

 

麻薬取引、強盗が多発しています。

危険さでいえば、ビジャ1-11-14と同じくらい危険と言われています。

 

 

 

 

フルテアパッチェですが、アルゼンチン人の街のようです。

多くのスラムは外国人が多数いますが、このスラムでは、外国人の人口データ等は特に出てきませんでした。

 

 

 

フエルテアパッチェの特徴

グーグルマップからの全体像の写真です。

こちらは、街の写真です。

皆さんも気づかれたと思います。

 

 

 

そうです。

10階建てくらいの高いビルがあるんです。

 

 

 

 

 

このスラムの大きな特徴は2つあります。

 

 

・スラム街なのに10階ほどの、多くのビルがある。
・スラム街が生んだ新興のスラム街

 

 

 

フエルテアパッチェの歴史

1968年に開発が開始されました。

 

 

レティーロ駅の近くのスラム、ビジャ31の住人をこのエリアに移転させたのが、始まりです。

 

 

 

 

当時、政府は1978年のアルゼンチン初のワールドカップ開催のため、貧困の撲滅をかかげていました。

 

 

 

 

 

政府も当時は、スラム街の開発、撲滅に前向きだったようです。

 

 

 

 

1962年 960世帯の家族をうけ入れるため、政府が建設チームを編成
1971年 2400世帯用に拡大
1973年 10階建て3棟ビルが9個建設
1976年 ビジャ31の住人が本格的に移転
1978年以降 ワールドカップ後、アルゼンチン政府は政策を頓挫。現在のスラム街が形成されていく。

 

 

 

 

 

 

フエルテアパッチェの最大の特徴は他のスラム街には、ほとんど見られない、ビルがあります。

100人近くが1棟のビルに住んでいるようです。

 

 

 

 

ただメンテナンス等はされていないので、老朽化、倒壊の危険性はもちろんあります。

 

 

 

 

まとめますとフエルテアパッチェは、スラム街の住人を移転させ、その後、貧困政策を放棄した政府が生んだスラム街。

 

 

 

 

 

そして強制移転されたスラムの住人は、フエルテアパッチェに住み続けた人もいれば、ビジャ31に戻った人もいます。

 

 

 

 

つまりスラム街が生んだスラム街です。

 

 

 

 

そして移転させられた住人の住むスラム街は、またスラム街にもどりました。

 

フエルテアパッチェのサッカーチーム

かなり危険で、少年少女までもが犯罪、薬物売買に手を出すスラム街ですが、平和に暮らすこともできるようです。

 

 

 

町には教会、小中学校もあります。

 

 

 

 

そして、少年、子供たちを麻薬や、危ない遊びから遠ざけるためのサッカーチームもあります。

有名なチームの一つですが、クラブ アトレティコ オールド ボーイズあります。

 

 

 

 

町の英雄、カルロス・テベスはこのチーム出身です。

カルロス・テベスですが、黒髪、黒い瞳、浅黒い肌とインディオの血を濃くひいています。

 

 

 

 

アルゼンチン人は、ヨーロッパ系の子孫、白人が多いと言われていますが、インディオの血をひいてる人も少ないようです。

 

 

 

フエルテアパッチェはアルゼンチン人の町と言われていますが、外国からの不法移民の子も少なくないようです。

 

 

 

 

フエルテアパッチェの町の中

フエルテアパッチェの貴重な街中の動画です。

6:01 国境警備隊が配置され治安改善に努めているようです。

こちらの動画ですが、まさにスラム街を見ることが出来ます。

たまった雨水、不法投棄された車、荒れた道等です。

1:29 壁の穴はピストルの弾痕のようです。

2:00 家賃、マンションの価格について聞いています。家賃は月2500ペソ(約7500円)のようです。スラムでも家賃はあるようです。

2:33 空家の販売、賃貸を紹介しています。

フエルテアパッチェまとめ

ビジャ31の移転先、フエルテアパッチェ ~スラム街が生んだアルゼンチンのスラム街、アルゼンチン元代表カルロス、テベスの故郷~の記事について書かせていただきました。

 

 

 

 

時には、政府の政策がスラム街を拡大させてしまう、そのようなケースもあるようです。

スラムがスラムを生む負の連鎖。

 

 

 

 

スラム街の子供たち、住人が安心して暮らせる日が来るのをただただ祈るばかりです。

 

 

 

アルゼンチンの治安、観光に関する記事は、他にもあるから是非見てね。

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